100年後への手紙

 僕には科学者を志したときに思った夢がありました。「100年後の人と話をしたい」という夢でした。ようやく自分のことを科学者の卵と言ってもいいのではないかと思えたときに、再び、その夢を思い出しました。 研究者としての長く世知辛い(せちがらい)生き残り競争と慣れない場所や文化での生活、それに続く母校での学生達との楽しい時間、すっかり、うっかり、忘れてしまっていました。

 去年の春(西暦2014年)ちょうど僕は喜界島にいました。
 喜界島はサンゴ礁研究の聖地といっても過言ではない場所です。駆け出しで異端児だった僕にはなんだか恐ろしくて容易には立ち寄れなかった場所でした。でも、少しだけの自信と大いなる勇気を持って訪れた喜界島の空気とサンゴ礁、人に触れたときに何かがストンと落ちてきた気がしました。これまで見てきたこと出会ってきた人たち、なくしたもの去っていった人たち、これからしなくてはならないこと出会うだろう人たち、全てのざわめきが一瞬静かになった気がしました。そして研究所ができました。

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 科学者とは、世界で一番最初に何かを知ろうとする人のことだと、現在の僕は考えています。100年後の世界でもきっと変わらないでしょう。 例えそれがその人自身が生きていく上で直接役に立たなくても、純粋に何かを知りたいという欲求は、恐らく人類のみが持っている数少ない美徳の一つではないでしょうか。実際に、知の発見は他のことでは得難い大きな喜びを伴います。そして、純粋な好奇心から生じる科学は、時に、国境や人種、宗教を越え、そして時間を超えることができるものです。また、同じことを知りたいと思う同志は、性別も年齢も関係なく対等で緊密な関係を築くことができます。

 しかし、一方で、それがどれほどわくわくすることで何ものにもかえがたいことであるかを自分以外の誰かにわかってもらうことは簡単ではありません。努力、幸運、知識、感覚、時にはお金など、多くのものが必要とされているにもかかわらず、ひとつひとつの発見はとても小さく限定されたものである場合が多いからです。その小さな発見をするために、ある人は人生をかけなくてはいけないかもしれません。子供の時に持っていた多くの夢を一つに集約しなくてはならかなかったかもしれません。そして、せっかくの成果は既に誰かによって明らかにされたていたことだったかもしれません。他の人にとってはとても些細なことか、ほとんど興味がないことかもしれません。

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 僕が最初にサンゴ礁の美しさに触れたのは子供の時の頭の中での体験でした。小学生だった僕は少年の船という当時住んでいた福岡から沖縄へ船で旅行するという子供向けの企画に飛びつきました。当時、大宰府というどこを掘っても遺跡という街で小学生をしていた僕は裏山(正確には、遺跡発掘隊の大人達によって発掘された残りの盛り土)に出てくる土器や磁器のかけらを探して眺めては世紀の大発見だと友達と言い合ったり、小さい弟を無理やり連れまわして古墳巡りをするちょっと変わった、でも少し生意気な子供でした。 体育館に集められて班の構成を決めたり、旅行中の見どころや注意点などを勉強する集まりが何度かあるとすっかり夢中になっていきました。その中でとりわけ子供の僕の関心を引いたのが、「沖縄では海に入るときには靴のまま入ること」、という注意事項でした。小さい頃に横浜の近所の港で見た汚れた海、その後に家族で移り住んだ千葉での見渡す限り続く砂浜があった九十九里浜、福岡にやってきてから連れて行ってもらった志賀島、それまで行ったことのあるどこの海では、泳ぐ時に靴など必要ありませんでした。だいたい靴を履いて泳げるのか、びしょ濡れになった靴はどうすればいいのか、頭の中ははてなマークでいっぱいでした。

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