100年後の科学者の卵たちへ(その1)

渡邊 剛

科学者とは、世界で一番最初に何かを知ろうとする人のことだと、現在の僕は考えています。100年後の世界でもきっと変わらないでしょう。 例えそれがその人自身が生きていく上で直接役に立たなくても、純粋に何かを知りたいという欲求は、恐らく人類のみが持っている数少ない美徳の一つではないでしょうか。実際に、知の発見は他のことでは得難い大きな喜びを伴います。そして、純粋な好奇心から生じる科学は、時に、国境や人種、宗教を越え、そして時間を超えることができるものです。また、同じことを知りたいと思う同志は、性別も年齢も関係なく対等で緊密な関係を築くことができます。

 しかし、一方で、それがどれほどわくわくすることで何ものにもかえがたいことであるかを自分以外の誰かにわかってもらうことは簡単ではありません。努力、幸運、知識、感覚、時にはお金など、多くのものが必要とされているにもかかわらず、ひとつひとつの発見はとても小さく限定されたものである場合が多いからです。その小さな発見をするために、ある人は人生をかけなくてはいけないかもしれません。子供の時に持っていた多くの夢を一つに集約しなくてはならかなかったかもしれません。そして、せっかくの成果は既に誰かによって明らかにされたていたことだったかもしれません。他の人にとってはとても些細なことか、ほとんど興味がないことかもしれません。

 それでも何かを誰よりも先に知るということ、それを人に伝えることを諦めないで欲しいと思います。一つの発見は小さくても、それはどこのどんな井戸よりも深く、どこのどんな山よりも高いはずです。その深遠さから見上げる世界やその高みから見渡す眺めは、単に多くのことを知っているだけでは決して味わうことができないものでしょう。
そしてその時にはじめてその次に登るべき山々が見えるはずです。小さな点と点はやがて結びついて線となり、線と線は織なって大きな面を作ります。やがては我々を取り巻く諸々の現象や物事を理解するために役たつでしょう。それらの積み重なりや伝搬は人類の未来を明るく照らすのだと思います。

 僕はまだあまり多くのことを知っていないけれど、これから起こる未来の発見の予感に科学者でいることをやめられないでいます。もしも、100年後の世界に、同じ科学を志す卵がいるならば、どんなに嬉しいことでしょう。そして、それが存続の危機にさらされるのならば、僕は全力でそれを守りたいと思います。

君たちは何を知りたいですか。

もしも、知りたいことがうまくわからない時、何度も失敗して自信をなくした時、喜界島を訪ねてみてください。そこには、小さいけれども何かを知ることの喜びをわかっている熱い人たちがいるでしょう。そしてその人たちを応援してくれている心優しい人たちがいるでしょう。君たちの欲しい答えは、すぐにはわからないかもしれないけれども、何かを知りたいという喜びとそれに伴う苦悩を共有してくれるはずです。

また、長くなってしまいました。もしも、次世代を担う科学者の卵からの批判がなければ、次はなぜ僕がサンゴ礁に惹かれて何を知りたいと思っているのかを書きたいと思います。

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