100年後の科学者の卵たちへ(その2)

渡邊 剛

僕が最初にサンゴ礁の美しさに触れたのは子供の時の頭の中での体験でした。小学生だった僕は少年の船という当時住んでいた福岡から沖縄へ船で旅行するという子供向けの企画に飛びつきました。当時、大宰府というどこを掘っても遺跡という街で小学生をしていた僕は裏山(正確には、遺跡発掘隊の大人達によって発掘された残りの盛り土)に出てくる土器や磁器のかけらを探して眺めては世紀の大発見だと友達と言い合ったり、小さい弟を無理やり連れまわして古墳巡りをするちょっと変わった、でも少し生意気な子供でした。 体育館に集められて班の構成を決めたり、旅行中の見どころや注意点などを勉強する集まりが何度かあるとすっかり夢中になっていきました。その中でとりわけ子供の僕の関心を引いたのが、「沖縄では海に入るときには靴のまま入ること」、という注意事項でした。小さい頃に横浜の近所の港で見た汚れた海、その後に家族で移り住んだ千葉での見渡す限り続く砂浜があった九十九里浜、福岡にやってきてから連れて行ってもらった志賀島、それまで行ったことのあるどこの海では、泳ぐ時に靴など必要ありませんでした。だいたい靴を履いて泳げるのか、びしょ濡れになった靴はどうすればいいのか、頭の中ははてなマークでいっぱいでした。

 なんでも、沖縄では海はサンゴ礁と呼ばれていて、そこには尖ったサンゴや棘の生えた危ない動物がたくさんいて靴なしでは必ず怪我をするのだとか。僕の頭の中は、すぐに想像でパンパンになりました。サンゴってなんなんだろう、沖縄の人はそんな危険といつも隣り合わせで海水浴をしているんだろうか。同時に、僕の頭の中は、いろいろな情報が少しずつ整理されてラグーンの中の色鮮やかなサンゴ達とそこに生息するいろいろな小さな動物たちで満たされていきました。

 だから、出発直前に台風で行き先変更という知らせが来た時には、僕はあまりのショックにベットから立ち上がれず、相当しばらくの間地団駄を踏んで泣きわめいていたと両親は言っていました。確かに、行き先変更で行った金沢の能登半島の砂浜を沖縄で海に入るときに使うはずだったサンダルを履いて不服そうに歩いていたのを覚えています。まだ見たことのないサンゴ礁への強い憧れは、その後の転校やスポーツづけの毎日などで、僕の中で少しずつ忘れられていきました。

 今でもまだ、あの時に頭の中に描かれたサンゴ礁よりも綺麗で想像に満ちた風景に僕はまだ出会っていないじゃないだろうか、と時々感じることがあります。もちろん、世界中のサンゴ礁に出会える機会に恵まれているので感覚が麻痺しているだけなのかもしれませんが、また行くの、まだ行くの、と調査に行く度にまわりに言われる声を振り切るのは、あの時の体験がきっとあるのかなと思う時があります。きっと、疲れたからやめようかなとつぶやきでもしたら、小学生の僕に頭突き(注釈)をくらわされそうな気がします。

 注釈:小学校時代の僕の得意技;背が低く喘息で学校を休みがちで生意気だった僕は最初は転校するたびに番長グループに目をつけられて囲まれました。その時に、グループのボスを見極めて姿勢を低くしてとにかく突進するやり方です。不意をつかれたボスが倒れこめば、後は、どんなに殴られても食らいついて離さないでいる。すると傍目からは、ボスと対等にやりあっているように錯覚されて次の日からボスに負けなかったやつとしてちょっかいをかけられなくなります。

 今年の夏、子供達向けにサンゴ礁サイエンスキャンプを企画しています。子供の頃の自分に似た将来の科学者の卵に会えるでしょうか。今から楽しみです。

100年後の科学者の卵たちへ(その1)

渡邊 剛

科学者とは、世界で一番最初に何かを知ろうとする人のことだと、現在の僕は考えています。100年後の世界でもきっと変わらないでしょう。 例えそれがその人自身が生きていく上で直接役に立たなくても、純粋に何かを知りたいという欲求は、恐らく人類のみが持っている数少ない美徳の一つではないでしょうか。実際に、知の発見は他のことでは得難い大きな喜びを伴います。そして、純粋な好奇心から生じる科学は、時に、国境や人種、宗教を越え、そして時間を超えることができるものです。また、同じことを知りたいと思う同志は、性別も年齢も関係なく対等で緊密な関係を築くことができます。

 しかし、一方で、それがどれほどわくわくすることで何ものにもかえがたいことであるかを自分以外の誰かにわかってもらうことは簡単ではありません。努力、幸運、知識、感覚、時にはお金など、多くのものが必要とされているにもかかわらず、ひとつひとつの発見はとても小さく限定されたものである場合が多いからです。その小さな発見をするために、ある人は人生をかけなくてはいけないかもしれません。子供の時に持っていた多くの夢を一つに集約しなくてはならかなかったかもしれません。そして、せっかくの成果は既に誰かによって明らかにされたていたことだったかもしれません。他の人にとってはとても些細なことか、ほとんど興味がないことかもしれません。

 それでも何かを誰よりも先に知るということ、それを人に伝えることを諦めないで欲しいと思います。一つの発見は小さくても、それはどこのどんな井戸よりも深く、どこのどんな山よりも高いはずです。その深遠さから見上げる世界やその高みから見渡す眺めは、単に多くのことを知っているだけでは決して味わうことができないものでしょう。
そしてその時にはじめてその次に登るべき山々が見えるはずです。小さな点と点はやがて結びついて線となり、線と線は織なって大きな面を作ります。やがては我々を取り巻く諸々の現象や物事を理解するために役たつでしょう。それらの積み重なりや伝搬は人類の未来を明るく照らすのだと思います。

 僕はまだあまり多くのことを知っていないけれど、これから起こる未来の発見の予感に科学者でいることをやめられないでいます。もしも、100年後の世界に、同じ科学を志す卵がいるならば、どんなに嬉しいことでしょう。そして、それが存続の危機にさらされるのならば、僕は全力でそれを守りたいと思います。

君たちは何を知りたいですか。

もしも、知りたいことがうまくわからない時、何度も失敗して自信をなくした時、喜界島を訪ねてみてください。そこには、小さいけれども何かを知ることの喜びをわかっている熱い人たちがいるでしょう。そしてその人たちを応援してくれている心優しい人たちがいるでしょう。君たちの欲しい答えは、すぐにはわからないかもしれないけれども、何かを知りたいという喜びとそれに伴う苦悩を共有してくれるはずです。

また、長くなってしまいました。もしも、次世代を担う科学者の卵からの批判がなければ、次はなぜ僕がサンゴ礁に惹かれて何を知りたいと思っているのかを書きたいと思います。

100年後の君たちへ(その1)

渡邊 剛

僕には科学者を志したときに思った夢がありました。「100年後の人と話をしたい」という夢でした。ようやく自分のことを科学者の卵と言ってもいいのではないかと思えたときに、再び、その夢を思い出しました。 研究者としての長く世知辛い(せちがらい)生き残り競争と慣れない場所や文化での生活、それに続く母校での学生達との楽しい時間、すっかり、うっかり、忘れてしまっていました。

 去年の春(西暦2014年)ちょうど僕は喜界島にいました。
 喜界島はサンゴ礁研究の聖地といっても過言ではない場所です。駆け出しで異端児だった僕にはなんだか恐ろしくて容易には立ち寄れなかった場所でした。でも、少しだけの自信と大いなる勇気を持って訪れた喜界島の空気とサンゴ礁、人に触れたときに何かがストンと落ちてきた気がしました。これまで見てきたこと出会ってきた人たち、なくしたもの去っていった人たち、これからしなくてはならないこと出会うだろう人たち、全てのざわめきが一瞬静かになった気がしました。そして研究所ができました。

 今、島で常駐をはじめた山崎敦子さんが、母校の北大に立ち寄った今年の年初め、100年後の未来に我々が何をできるだろうかと尋ねたら彼女は迷わずにこういいました。「過去を知り今を記載し続けること、それを未来に残すこと」。弟子の成長ぶりに目頭が熱くなりましたが、同時に、僕自身にはまだ具体的な考えがないんだなと思いました。

 みなさんの夢はなんですか。

 おいしいものをお腹いっぱい食べることですか。友達を100人つくることですか。友達と時間を忘れて遊ぶことですか。好きな人といつまでも一緒にいることですか。綺麗な風景をいつまでも見ていたいですか。遠く離れた人に会いに行くことですか。なくしてしまった大事なものやうしなった大切な人をとりもどすことですか。世界中を旅してまわることですか。世界の人たちを仲良くさせることですか。戦争のない世界を作ることですか。飢えている人や病気の人、困っている人を救うことですか。人々を感動させることですか。ロケットに乗って宇宙の果てを見ることですか。昔の綺麗で平和な地球を取り戻すことですか。

 僕の夢は100年後の人と話をすることです、想いを伝えることです。やり方はまだわかっていません。何を話すべきかもまだ決まっていません。

 誰かが夢を語るとき、そんなことできるわけないよと笑う人たちがいるでしょう。それはきっと偉大で大きな夢を持てている証拠だと思うのです。そんなことやって意味あるのと顔をしかめる人がいるでしょう。それはきっと誰も到達したことのない新たな境地へ行くことのできる前触れかもしれません。

 僕は変わりものの科学者なので(注釈:科学者が全て変わりものといっているわけではありません)、一人になっても夢に向かって頑張ろうと思っています。一人でも研究所は研究所です。二人いればりっぱなチームです。10人いたら、きっと、すぐに100人の人が集まるでしょう。

 とてもありがたいことに、今の僕には志を同じにする同志と仲間がいます。少しは慕ってくれ酒を飲んで二日酔いになっても大目に見てくれる学生や友人がいます。何をやるかさえ知らないのに支えてくれる人たちがいます。きっと、いつか僕の願いは叶うと思っています。

 そしていつか100年後の人に僕たちの想いが届いて、その中にそのまた次の100年後の人と話をしたいと思ってくれる人がでてくればいいなと思っています。1年間で8回目?の喜界島での滞在を終えた機上でそんなことを思いました。札幌では例年よりも2週間早い桜の開花宣言が出されていました。喜界島から暖かい風が吹いたのかもしれません。