研究者の仕事の楽しさは何ですか?

研究者の仕事の楽しさは何ですか?

中学一年生の二人から嬉しい質問をいただきました!

北海道大学の渡邊先生の研究室の卒業生である河村さんは修士号を取得し、中学校の先生をしています。河村さんの教え子から届いた質問に渡邊先生が回答しました。そのお返事を紹介しようと思います。

はじめまして。渡邊先生に、いくつかお尋ねしたいことがあります。

・どんな研究をしていますか?
・研究者は日常的にどんな仕事を行っていますか?
・研究者になった理由は何ですか?
・研究者の仕事の楽しさは何ですか?

質問は以上です。よろしくお願いします。

はじめまして渡邊です。興味を持ってくれてありがとうございます。

サンゴを研究しています。サンゴと言えば、河村先生から教えてもらっているかもしれませんが、動物だったり、植物だったり、鉱物だったり、いろいろな性質があります。また、それらの性質により、サンゴは、サンゴ礁という地形を造ったり、熱帯の海という普通の動物では生きにくい場所で生きることができたり、そこに棲む多くの動植物を維持したり、古くからそこに住んでいる人間の生活に必要な水を蓄えたり、食物を与えてくれています。また、サンゴの骨格は死んだ後にも残って化石となり古いものでは数億年も前のがあります。現在のサンゴ礁は、海洋でもっとも高い生物多様性が高いところになっていて、地球温暖化や海洋汚染にもとても敏感です。サンゴを研究するということは、サンゴ自身を知ることと、サンゴに影響を及ぼすものを理解することの2つがあります。サンゴ自身を知ることも、サンゴには動物、植物、鉱物の特徴があるので、生物、化学、物理、地学などのいろいろな分野の知識と手法が必要です。また、サンゴに影響を及ぼすものを理解するためには、地球環境のことやサンゴ礁の上に住んでいる人間のことも理解しなくてはいけないので、考古学、人類学、経済学などの知識も必要です。サンゴの産卵から幼生を育ててその観察をしたり、サンゴが造った骨格を調べてサンゴが生きていた時間の地球環境の変化を復元したり、サンゴ礁の上に住む人間の歴史がサンゴ礁や地球の環境にどのように影響を与えるのか、などを調べています。

研究者の日常は、一言ではなかなかに説明が難しいですね。研究のアイディアや解決したい疑問を思いついたら、そのための手段や手法を考えて、実験をしたり調査をしたりします。そこから得られた結果をさらに解析をしたりいろいろな人と議論が新しい発見につながっていきます。発見したことを世界中の人々に伝えて、人類の財産として残すためにいろいろな方法を模索します。僕が研究の対象にしているサンゴや地球環境のことは、対象とする地域までいって調査をしたり試料を取ってきたりということをしなくてはいけません。また、サンゴ礁を調査したり調べたりするうちにまた新たな疑問やアイディアがでてくることもあります。僕が研究に必要だと思っていることは、感じること、見つけること、伝えること、残すこと、の4つのことです。サンゴ礁のフィールドで調査をしたり実験室で実験をしたり、研究室や研究所で学生や他の研究者と議論をしたり、大学やいろいろなところで講義をしたり、研究の成果を論文や本として書いたり、国内や海外の学会で講演をしたり、いろいろなことが研究者の日常の中にはあります。

研究者になった理由は、よくわかりません。ただ、中学生の時には、ぼんやりと自分は研究者になりたいな、と思っていたのを覚えています。ただし、その夢は、高校や大学の時の生活で、忘れていました。高校や大学では、部活動に熱中したり、好きな女の子ができたりで、その時の楽しいことでいっぱいいっぱいだったからです。僕が本当に研究者になりたいと再び思うようになったのは、大学で進む研究室を決めなくてはならなくなった時です。当時、僕がいる北海道大学では、動物のお医者さんという獣医さんをテーマにした漫画がはやっていて、動物を扱う研究がしたいと思っていました。しかし、大学生になって好きなことに夢中になっていた僕は成績が悪く、大人気の獣医学部には進むことができませんでした。そんな中にふと思ったのが、地質学だったら恐竜などを扱うので、既に化石になって死んでいるけれども動物が研究できるのではないかと考えて、地質学の研究室に進みました。しかし、僕がそこで出会ったものは、恐竜ではなくサンゴだったのです。当時の僕の先生は言いました「君、将来研究者になりたいんだったらあんまり発掘されない恐竜よりも、いろいろなところにあるサンゴにしなさい」と言われました。今でこそ、その意味がすごくよくわかりますが、当時の僕はどこにでもでてくるサンゴの何が面白いのだろう、しかも、サンゴ礁の海から最も遠い北海道で、と思いました。サンゴ礁のない北海道で、僕は毎日毎日、暗い研究室にこもって、サンゴの化石をみていました。すると、少しづつ、サンゴの中に世界が広がっているのがわかりました。数億年も前に死んで化石になったサンゴの中には、実にいろいろな模様だったり、不思議な構造が隠されていたのです。そして、大学院に進学してから、必死にアルバイトをして貯めたお金を使って、初めて生のサンゴ礁を見に沖縄に行きました。その時のサンゴがいる海の中の圧倒的な存在感と雰囲気は、今でも鮮明に覚えています。お金もあまりなかったのでキャンプ場でテントを張って過ごして研究をしました。その時に出会ったいろいろな人達との経験は今でも忘れられない記憶です。そのようにしてどんどんサンゴ礁の魅力にはまっていった僕は、やがて、本当に研究者になってやろうと思うようになりました。

研究者は、世界で初めて知ること、つまり、発見することを目指しています。ひとつの疑問を探求して自分自身の力で明らかにしていくことはとても楽しいことです。それには、その疑問がこれまでの人類の誰もが明らかにできなかった、ということを知る必要があります。学校では、試験があるとそれについての解答を時間内に答えることを求められると思います。また、インターネットで調べるとすぐに何でも教えてくれると感じるかもしれません。だけれども、世の中にはまだまだわからないこと、科学では説明がつかないことがたくさんあります。これまで人類は未知のことに対していろいろな実験や思考を繰り返し、少しずつわかってきましたが、自然界にはまだわかっていないことが溢れかえっているのです。研究は、常にわからないことに向かっていくことなので、毎日がとても刺激的です。もちろん、人知れず地道な努力を積み重ねなくてはいけないですし、時にはとんでもない失敗をしたりします。それでも、何かを発見するというとてつもない感動を一度でも味わってしまうと途中でやめられなくなるのです。疑問に向かって挑戦をする時には、孤独を感じることもありますが、それを続けていくと、性別や年齢や宗教、肌の色などに関係なく世界中の研究者と繋がったり、違う分野の人たちが協力してくれるようになります。研究者としての楽しさには、世界中のいろいろな人と繋がることができ、発見の喜びをわかちあえることもあります。

渡邊 剛


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今の地球に生きる君へ

インコボーイさんからのメッセージ

喜界島サンゴキャンプは、自分にとって非常にいい刺激になりました。今自分はとても怖いです。なぜなら、この前図工の時間にクラスメイトが、面白いものを作っていたんです。それ何?と聞いたらひどい世界だったんです。未来の地球を現した作品で、みずうみはゴミだらけでした。あっ、今からやんなきゃだめだと思いました。こんな恐怖はじめて感じました。こんなに怖い話しなのに、真面目に聞いてくれる人はいないのです。地球温暖化?というような人の多さにはビックリしました。でも、みんなの前でたくさん地球温暖化について話すようになって今 自分のクラスはエコになっています。とても嬉しいです。たった一人でこんなに変わるなんて!だれもが、地球温暖化という存在を忘れる日がくるといいなと思っています。
こんな日を作るためにも、サンゴの研究者に没頭してください。
自分はサンゴキャンプで研究者のかっこよさに心をうたれました。大きくなったら、生き物の研究者になります!

喜界島サンゴ研究キャンプ、とても楽しかったです。来年度もぜひ参加させてください。

インコボーイより。


渡邊先生からの返事

Re: インコボーイ君へ、

喜界島サンゴ礁科学研究所の渡邊です。

ハワイ調査の途中でインコボーイ君からのメッセージを見ました。ちょうど、海で必死になって目的のサンゴを探そうと潜って泳いでヘトヘトになって、それでも見つからないという辛い時期だったのでとても勇気づけられました。メッセージをありがとう。

インコボーイ君が今感じている怖いという気持ちを、どうか忘れないでください。それはとても大切な感覚なのだと僕は思います。大人になって余裕や感覚が鈍ると人や社会は、目の前のことをありのままに見ることが難しくなったり、自分の都合の良いように物事を解釈しようとしてしまいます。地球には、素晴らしい自然が沢山あって多くの生き物がそれぞれの環境に適応して生存しています。そしてそれぞれの生物には生きのびてきた歴史があります。人間も例外ではありません。人間は、長い地球の歴史の中ではほんの最近になって出てきた存在、数億年も前からいるサンゴに比べると新キャラです。そんな新キャラの人類は他の動物に比べて肉体的に弱かったので、必死に知恵を使って様々な環境にも適応してきました。森を切り開いて食べ物や住む場所を作ったり、分厚い服を身にまとってより寒いところにも住めるようになりました。夜の闇が怖いと感じて火を起こし、やがては電気を生み出しました。そして、今や地球上の色々な環境で人間は生活し、地球環境さえも変えてしまえる力を持っています。その人間が生きるために獲得してきた能力が、今、地球の自然と生物にとって良い方向に行っていないのは残念なことですね。

地球温暖化の主な原因になっている二酸化炭素は、人間が石炭や石油などの化石燃料と言われるものを燃焼してできたものです。地球には、水と生命が存在し、その生物が長い間かかって大気中の二酸化炭素を地殻に閉じ込めて来ました。その一部が我々が電気を作ったり車に乗るときに使っている石炭や石油です。因みに、地球上の最大の炭素の貯蓄庫となっているのがサンゴを始めとした海洋生物が関与して生成された炭酸塩岩という岩石です。人間は、せっかく長い時間をかけて生物が地球に閉じ込めて来たものをわずかな時間で再び大気中に放出をしてしまっています。その二酸化炭素は地球の温暖化をもたらし、海洋表層に溶けだし、炭酸カルシウムの骨を作っているサンゴに大きなストレスを与えています。サンゴはサンゴ礁を形成して実に多くの生物を育み、海洋生物の多様性を支えています。大気中の二酸化炭素がこのまま増えていってサンゴ礁の海に溶けていったら、今後サンゴ礁はどのようになってしまうのでしょうか。

もちろん、今すぐにすべての人間が二酸化炭素を放出するのをやめることができれば、一番良いのかもしれません。ただ、今それはとても難しい状況になっていますね。理屈ではわかっていても、人間は、一度手にした快適さはなかなか手放すことはできません。そしてこれまでに多く二酸化炭素を排出して来た国とこれから発展するために沢山化石燃料を使いたい国とが対立をしています。そんな中で我々はどうしたら良いでしょうか。どうしたら素晴らしい自然や環境をインコボーイ君の世代が大人になっても、さらに、その次の世代にも残せていくのでしょうか。残念ながら僕にはまだ良くわかりません。でも、インコボーイ君やお友達がクラスの中でやったように、僕も考え続けてできることをやりたいと思います。ある大きな国の大統領が化石燃料の使用が温暖化をもたらしたとは限らない、と言った時、それに猛烈に反対や抗議をする人たちがいました。声を上げることはとても大事なことだと思います。でも、なぜ誰も「化石燃料の使用が温暖化をもたらした」と言い切れないのでしょうか。二酸化炭素が増えると温室効果によって地球が温暖化する、と誰もが思っていると思います。ですが、人間が化石燃料の使用を開始してから現在までの大気中の二酸化炭素の量の変化と気温の関係を示す直接的なデータはないというのが大きな原因の一つです。大気中の二酸化炭素の濃度を継続的に測り続けているのは、ハワイにおける過去60年間のものが最も長い記録で、海の中の二酸化炭素の観測はもっと短いものしかありません。えっと思うかもしれませんがそれが現実です。もちろん、コンピューターを使って計算して予測することはできます。だけれど、二酸化炭素は、大気や海洋、生物、のどれも関係する複雑な系の中で動いています。そして、それを排出する人間の挙動もまた複雑なのです。現在、人間の活動がどの程度、関わっているかを正確に見積もるために、まずは、直接的なデータを示すことができれば、と我々は考えています。

この夏のサイエンスキャンプで、僕が皆さんにお話しした研究者にとって大事なこと、感じること、見つけること、伝えること、残すこと、のうちインコボーイ君は、既に、その多くを実践していますね。素晴らしいです。きっとそんなインコボーイ君のような人たちが将来を切り開いて行くのだと思うととても心強く感じます。そして、僕たちの世代もまだまだ諦めずに、やれることをひとつづつやって、少しでもやがて訪れる将来のことを考えられるヒントになることを残せていけたら、そして、一緒に未来を語り合いたいなと思います。今回は、素敵メッセージと応援をありがとうござます。また、来年お会いしましょう。

渡邊 剛

100年後の科学者の卵たちへ(その2)

僕が最初にサンゴ礁の美しさに触れたのは子供の時の頭の中での体験でした。小学生だった僕は少年の船という当時住んでいた福岡から沖縄へ船で旅行するという子供向けの企画に飛びつきました。当時、大宰府というどこを掘っても遺跡という街で小学生をしていた僕は裏山(正確には、遺跡発掘隊の大人達によって発掘された残りの盛り土)に出てくる土器や磁器のかけらを探して眺めては世紀の大発見だと友達と言い合ったり、小さい弟を無理やり連れまわして古墳巡りをするちょっと変わった、でも少し生意気な子供でした。 体育館に集められて班の構成を決めたり、旅行中の見どころや注意点などを勉強する集まりが何度かあるとすっかり夢中になっていきました。その中でとりわけ子供の僕の関心を引いたのが、「沖縄では海に入るときには靴のまま入ること」、という注意事項でした。小さい頃に横浜の近所の港で見た汚れた海、その後に家族で移り住んだ千葉での見渡す限り続く砂浜があった九十九里浜、福岡にやってきてから連れて行ってもらった志賀島、それまで行ったことのあるどこの海では、泳ぐ時に靴など必要ありませんでした。だいたい靴を履いて泳げるのか、びしょ濡れになった靴はどうすればいいのか、頭の中ははてなマークでいっぱいでした。

 なんでも、沖縄では海はサンゴ礁と呼ばれていて、そこには尖ったサンゴや棘の生えた危ない動物がたくさんいて靴なしでは必ず怪我をするのだとか。僕の頭の中は、すぐに想像でパンパンになりました。サンゴってなんなんだろう、沖縄の人はそんな危険といつも隣り合わせで海水浴をしているんだろうか。同時に、僕の頭の中は、いろいろな情報が少しずつ整理されてラグーンの中の色鮮やかなサンゴ達とそこに生息するいろいろな小さな動物たちで満たされていきました。

 だから、出発直前に台風で行き先変更という知らせが来た時には、僕はあまりのショックにベットから立ち上がれず、相当しばらくの間地団駄を踏んで泣きわめいていたと両親は言っていました。確かに、行き先変更で行った金沢の能登半島の砂浜を沖縄で海に入るときに使うはずだったサンダルを履いて不服そうに歩いていたのを覚えています。まだ見たことのないサンゴ礁への強い憧れは、その後の転校やスポーツづけの毎日などで、僕の中で少しずつ忘れられていきました。

 今でもまだ、あの時に頭の中に描かれたサンゴ礁よりも綺麗で想像に満ちた風景に僕はまだ出会っていないじゃないだろうか、と時々感じることがあります。もちろん、世界中のサンゴ礁に出会える機会に恵まれているので感覚が麻痺しているだけなのかもしれませんが、また行くの、まだ行くの、と調査に行く度にまわりに言われる声を振り切るのは、あの時の体験がきっとあるのかなと思う時があります。きっと、疲れたからやめようかなとつぶやきでもしたら、小学生の僕に頭突き(注釈)をくらわされそうな気がします。

 注釈:小学校時代の僕の得意技;背が低く喘息で学校を休みがちで生意気だった僕は最初は転校するたびに番長グループに目をつけられて囲まれました。その時に、グループのボスを見極めて姿勢を低くしてとにかく突進するやり方です。不意をつかれたボスが倒れこめば、後は、どんなに殴られても食らいついて離さないでいる。すると傍目からは、ボスと対等にやりあっているように錯覚されて次の日からボスに負けなかったやつとしてちょっかいをかけられなくなります。

 今年の夏、子供達向けにサンゴ礁サイエンスキャンプを企画しています。子供の頃の自分に似た将来の科学者の卵に会えるでしょうか。今から楽しみです。

渡邊 剛

100年後の科学者の卵たちへ(その1)

100年後の科学者の卵たちへ(その1)

科学者とは、世界で一番最初に何かを知ろうとする人のことだと、現在の僕は考えています。100年後の世界でもきっと変わらないでしょう。 例えそれがその人自身が生きていく上で直接役に立たなくても、純粋に何かを知りたいという欲求は、恐らく人類のみが持っている数少ない美徳の一つではないでしょうか。実際に、知の発見は他のことでは得難い大きな喜びを伴います。そして、純粋な好奇心から生じる科学は、時に、国境や人種、宗教を越え、そして時間を超えることができるものです。また、同じことを知りたいと思う同志は、性別も年齢も関係なく対等で緊密な関係を築くことができます。

 しかし、一方で、それがどれほどわくわくすることで何ものにもかえがたいことであるかを自分以外の誰かにわかってもらうことは簡単ではありません。努力、幸運、知識、感覚、時にはお金など、多くのものが必要とされているにもかかわらず、ひとつひとつの発見はとても小さく限定されたものである場合が多いからです。その小さな発見をするために、ある人は人生をかけなくてはいけないかもしれません。子供の時に持っていた多くの夢を一つに集約しなくてはならかなかったかもしれません。そして、せっかくの成果は既に誰かによって明らかにされたていたことだったかもしれません。他の人にとってはとても些細なことか、ほとんど興味がないことかもしれません。

 それでも何かを誰よりも先に知るということ、それを人に伝えることを諦めないで欲しいと思います。一つの発見は小さくても、それはどこのどんな井戸よりも深く、どこのどんな山よりも高いはずです。その深遠さから見上げる世界やその高みから見渡す眺めは、単に多くのことを知っているだけでは決して味わうことができないものでしょう。
そしてその時にはじめてその次に登るべき山々が見えるはずです。小さな点と点はやがて結びついて線となり、線と線は織なって大きな面を作ります。やがては我々を取り巻く諸々の現象や物事を理解するために役たつでしょう。それらの積み重なりや伝搬は人類の未来を明るく照らすのだと思います。

 僕はまだあまり多くのことを知っていないけれど、これから起こる未来の発見の予感に科学者でいることをやめられないでいます。もしも、100年後の世界に、同じ科学を志す卵がいるならば、どんなに嬉しいことでしょう。そして、それが存続の危機にさらされるのならば、僕は全力でそれを守りたいと思います。

君たちは何を知りたいですか。

もしも、知りたいことがうまくわからない時、何度も失敗して自信をなくした時、喜界島を訪ねてみてください。そこには、小さいけれども何かを知ることの喜びをわかっている熱い人たちがいるでしょう。そしてその人たちを応援してくれている心優しい人たちがいるでしょう。君たちの欲しい答えは、すぐにはわからないかもしれないけれども、何かを知りたいという喜びとそれに伴う苦悩を共有してくれるはずです。

また、長くなってしまいました。もしも、次世代を担う科学者の卵からの批判がなければ、次はなぜ僕がサンゴ礁に惹かれて何を知りたいと思っているのかを書きたいと思います。

渡邊 剛

100年後の君たちへ(その1)

100年後の君たちへ(その1)

僕には科学者を志したときに思った夢がありました。「100年後の人と話をしたい」という夢でした。ようやく自分のことを科学者の卵と言ってもいいのではないかと思えたときに、再び、その夢を思い出しました。 研究者としての長く世知辛い(せちがらい)生き残り競争と慣れない場所や文化での生活、それに続く母校での学生達との楽しい時間、すっかり、うっかり、忘れてしまっていました。

 去年の春(西暦2014年)ちょうど僕は喜界島にいました。 喜界島はサンゴ礁研究の聖地といっても過言ではない場所です。駆け出しで異端児だった僕にはなんだか恐ろしくて容易には立ち寄れなかった場所でした。でも、少しだけの自信と大いなる勇気を持って訪れた喜界島の空気とサンゴ礁、人に触れたときに何かがストンと落ちてきた気がしました。これまで見てきたこと出会ってきた人たち、なくしたもの去っていった人たち、これからしなくてはならないこと出会うだろう人たち、全てのざわめきが一瞬静かになった気がしました。そして研究所ができました。

 今、島で常駐をはじめた山崎敦子さんが、母校の北大に立ち寄った今年の年初め、100年後の未来に我々が何をできるだろうかと尋ねたら彼女は迷わずにこういいました。「過去を知り今を記載し続けること、それを未来に残すこと」。弟子の成長ぶりに目頭が熱くなりましたが、同時に、僕自身にはまだ具体的な考えがないんだなと思いました。

 みなさんの夢はなんですか。

 おいしいものをお腹いっぱい食べることですか。友達を100人つくることですか。友達と時間を忘れて遊ぶことですか。好きな人といつまでも一緒にいることですか。綺麗な風景をいつまでも見ていたいですか。遠く離れた人に会いに行くことですか。なくしてしまった大事なものやうしなった大切な人をとりもどすことですか。世界中を旅してまわることですか。世界の人たちを仲良くさせることですか。戦争のない世界を作ることですか。飢えている人や病気の人、困っている人を救うことですか。人々を感動させることですか。ロケットに乗って宇宙の果てを見ることですか。昔の綺麗で平和な地球を取り戻すことですか。

 僕の夢は100年後の人と話をすることです、想いを伝えることです。やり方はまだわかっていません。何を話すべきかもまだ決まっていません。

 誰かが夢を語るとき、そんなことできるわけないよと笑う人たちがいるでしょう。それはきっと偉大で大きな夢を持てている証拠だと思うのです。そんなことやって意味あるのと顔をしかめる人がいるでしょう。それはきっと誰も到達したことのない新たな境地へ行くことのできる前触れかもしれません。

 僕は変わりものの科学者なので(注釈:科学者が全て変わりものといっているわけではありません)、一人になっても夢に向かって頑張ろうと思っています。一人でも研究所は研究所です。二人いればりっぱなチームです。10人いたら、きっと、すぐに100人の人が集まるでしょう。

 とてもありがたいことに、今の僕には志を同じにする同志と仲間がいます。少しは慕ってくれ酒を飲んで二日酔いになっても大目に見てくれる学生や友人がいます。何をやるかさえ知らないのに支えてくれる人たちがいます。きっと、いつか僕の願いは叶うと思っています。

 そしていつか100年後の人に僕たちの想いが届いて、その中にそのまた次の100年後の人と話をしたいと思ってくれる人がでてくればいいなと思っています。1年間で8回目?の喜界島での滞在を終えた機上でそんなことを思いました。札幌では例年よりも2週間早い桜の開花宣言が出されていました。喜界島から暖かい風が吹いたのかもしれません。

渡邊 剛